僕がコーヒーに夢中になった訳【心気症・意識を失った経験】

カフェオープン

昨夜、こういったTweetをしました。

このように僕は過去に「心気症」を患っていまして、その治療中に偶然にも意識を失うという経験をしました。

今だからこうやって書けるんですけどね(笑)

その当時はとてもやないけど、周りに打ち明けることなんてできませんでした。

そんなことを記録として残しておこうと思います。

この記事を書いた人
今野直倫

【放浪のバリスタ / WEBライター】コーヒーとモノ書きで生きる人☕️✍️|心気症を発症、通勤中に意識を失い、好きなことで生きようと決意。|全国26ヶ所でカフェ開催|大手企業などで600記事以上執筆|凡人でも「好きなことで生きられる」を発信します。

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「心気症」発症と通勤中に意識を失った経験

心気症を発症したのが今から1年くらい前で、2017年の9月くらいだったでしょうか?

(その頃は、本当に病気やと思っていた。)

そして、通勤中に意識を失ったのが今から約一年前の2018年11月くらいですね。

心気症を患い半年ほど心療内科に通院

ブログやTwitterでは公言していませんでしたが、僕は「心気症」を患っていました。

心気症とは、自分が病気なのではないかと常に思ってしまう心の病です。

神経内科・内科・耳鼻科・精神科など、色んな科の病院を訪ね、「頭が痛い、怠い」などの症状を伝えましたが、異常はありませんでした。

当然ですよね、病気だと錯覚しているだけなのですから。

でも、自分にとっては本当に頭が痛いし、体が怠いのです。

そしてタチが悪いのが、その当時、同時に慢性中耳炎を発症していて「手術が必要かもしれない」といわれていたこと。

たかが中耳炎でしたが、頭の病気かもしれないし(錯覚)、自律神経失調症かもしれないし(錯覚?)とか思っていた自分にとっては大ごとです。

結果、手術は今すぐでなくても良いということになったのですが、病気の不安はなくなることがありませんでした。

ようやく精神科に行くも、精神科の先生を見た瞬間「この人の方が精神やられてそうじゃね?」という感じだったので通うのをやめました。

その後、心療内科に行き信頼できる先生に出会い、半年ほど通院し薬を服用することになったのです。

恐怖と戦う毎日でした。黙っているのが気持ち悪くなってきて、今やっと言いました。

通勤中に泡を吹いて意識を失う

確かTwitterでほんのり言ったような気がしたので、探していると当時のTweetを見つけました。

これが起こったのが、心気症の治療中ですね。

朝5時半ごろに起床して、6時過ぎに電車に乗って、最後に意識があったのが東京メトロの「国会議事堂前」ら辺だったかな、と。

気付いたときには救急車で運ばれていて、救急隊の方に「どこで働いてるの?」と言われました。

意識の混濁している僕は、「お、う……え?」とか何とか言いながらもはっきり思ったのは、(こんな時まで仕事かよ!)ということ。

職場に「こうこうこういうことで出社できません」ということを伝えなきゃいけないんですね。

その後、病院で検査を受けるも原因は分からず、点滴を受けて帰宅しました。

心気症の経験に加え、この通勤中に泡を吹いて意識を失った出来事に、とどめを刺されました。

「自分はこのまま生きられない」と。

自分の体調のことなんて忘れるくらい夢中になれることをしないとダメだ、と。

そして、その当時の仕事(高校の教師)を辞め、自分の好きなことで通勤の必要がない仕事をしようと決めました。

夢中になれることなら、いくら働いてもストレスにはならないと考えたからですね。

僕が夢中になれること、それが中学生くらいのときから好きだった「コーヒー」でした。

心気症と意識を失った経験から考えたこと

心気症と意識を失う経験をして、自分の体と「死」、それから生き方について深く考えさせられました。

心気症の真っ只中には「自分は病気で死ぬんだ」と本気で錯覚していたし、意識を失ったときも「死ぬときはぽっくり死にそうだ」と思ったからです。

「死」と向き合わなければ、今のような生き方は選んでいなかったでしょうね。

「心気症」から学んだこと

心気症を発症した時、僕は激しく「死」と向き合いました。

なぜなら、自分は病気で死ぬと本気で思っていたからですね。

死ぬときはどうやって死ぬんだろう、死んだ後はどうなるんだろう、何を思いながら死ぬんだろうとか。

そんなことを考えては恐怖感が増していったけど、確かに確信したのは、

「死んだら何もない」ということです。

「自分の存在が無になる」ということです。

だからこんなに怖いんだと思いました。

一方で、理解していても考えるのを止められない、それが「心気症」です。

だから、ちゃんと生き方と向き合えたのは、薬を服用し落ち着いてきてから。

通勤中に意識を失って、「もうこれは駄目だ」とある種開き直ることができたときですね。

通勤中に意識を失って学んだこと

結果だけをいうと、意識を失ったけれども命に別状はありませんでした。

でも、たぶんそのとき「人って簡単に死ぬんやな」と、何となく気が付いたんやと思います。

この辺りの「気付き」については、意識を失ってからやんわり気付いていったのかもしれないですし、

倒れる前からちょっとづつ気付き始めていたかもしれないので、はっきりとした時期は明言できません。

だけど、「やりたいことは今すぐやらなきゃ後悔する」ということだけは、はっきり分かったんですよね。

だって、どうせ人間死んだら「無」になるので。

本当に、人間はいつ死ぬか分からないので。

生きている内くらいやりたいことやろう、と。

今まで(心気症を患う前まで)悩んでいた「お金」とか「人付き合い」とか本当ちっぽけな悩みだな、と。

ここで僕の足かせというか、リミッターというかは完全に外れて、「人の目」とか「世間体」とかを一切気にしなくなったんですよね。

心気症と意識を失う経験を経て~現在

心気症と意識を失った経験は、間違いなく僕の人生に大きな影響を与えました。

経験前と経験後では生まれ変わったくらいの違いで、昔からの友人には「お前そんなんだったっけ?(笑)」と驚かれます。

でも、そのことも「本当に些細なことだよね」と思えるのは、やっぱりこの経験をしたからでしょうね。

今やりたいことは「即行動」「最優先」

僕がいつも思うのが今やりたいと思ったことを「即行動」に移し、「最優先」すること。

やれない(やらない)理由って死ぬことに比べたらちっぽけだよね、と思うからですね。

例えば、「他の用事が……」とか「仕事が溜まってて……」とか、大事なのもそうなんですが。

「まあ、死んだら全部関係ないしね!」

という周りの人からしたら至極迷惑な話ですが、やっぱり「死」に比べたらどうしても小さなことに思えてしまいます。

死ぬ間際になって絶対に言い訳したことを後悔するんだから、やりたいことを最優先でやった方が良いに決まってるんですよ。

でも常に根幹にあるのは、「あんな怖い思いはしたくないから夢中になれる選択をする」というそれだけです。

夢中になれることで常に頭を満たしておかないと、あのときの不安が押し寄せてきそうだからです。

怖いんです。

「自分が病気だ」と思い込んでしまう精神状態に陥るのが本当に怖い。

だから常に「好きなこと」で新しいことに挑戦し続けて、嫌な考えが入ってこないようにしているのです。

だから僕が好きなことをするのは前向きなようで、けっこう後ろ向きな理由だったりします(笑)。

夢中になれること=コーヒー(僕の場合)

ここでいつも通りコーヒーの話になってしまうのですが、やっぱりコーヒーって夢中になれるんですよね。

僕の場合は、という話ですが。

美味しいコーヒーを作ろうと試行錯誤していると、辛いことを忘れられたりします。

コーヒーを美味しく淹れることも、豆を美味しく焼くことも条件が多くて、工夫するところがいっぱいあるので。

コーヒーのことを考えているうちは、余計なことを考えずに済むんですよね。

本当にコーヒーがあって良かったと思います。

でも、コーヒーやなくても、それは何でも良いんですよね。

自分が夢中になれることがあって、他のことを忘れて没頭できることがあれば、それだけで救われる(こともある)。

だから、もしかしたら僕は明日からコーヒーを辞めて、紅茶に夢中になっているかもしれません。

というのは冗談ですが、何か夢中になれることがあったらとにかく「即行動」「最優先」でぶつかっていきます。

まとめ:重い話をしてしまいましたが基本的には前向きです

少し重い話になってしまいましたが、最近色んなきっかけがあって話さずにはいられなくなりました。

黙っているのが気持ち悪くなりました。

今まで公言しなかったのは病気だったことを話すのはずるいんやないか、と思っていたからです。

なぜか恥ずかしかったからです。

なんででしょうね?

でも、この一年色んな人に出会ってきて、隠しておかなくて良いんだと思えるようになりました。

僕と出会ってくれて、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

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