なぜ、挑戦している人は最初の一歩を踏み出せたのか?
「挑戦してみたいけど、踏み出す勇気がない」みたいな人が多いと思っていて、
(確かに、何で挑戦している人が最初の一歩を踏み出せたんだろう?)というのは疑問やなぁ、と。
僕自身、この1年結構な挑戦をしてきて、で、僕のことを知っている方なら、たぶんここには異論がないと思うんですよね。
で、何をしてきたかというと去年の3月に出張バリスタを始めて、5月にWEBライターを始めたんですが、今とりあえずそれで生活できるようになったという感じです。
そこから生活できるようになるかは置いておいて、何でそもそも一歩踏み出せたのかっていうのを考えてみます。
思い出してみると、当時周りの人から「ユーチューブロガー?笑笑」(YouTubeとブログをメインにやっていてそう名乗っていた)と若干バカにされたりもしたし、
「当時は今野のこと笑ってた」と陰で笑われていたようなことも最近先輩から聞いたし、
あとは、一番強烈に覚えているのは、めちゃくちゃ身近で信頼している友達から「失敗したとしても、やってみることが大事だよね」的なことを言われたこと。
一見前向きなようで(で、たぶん悪気があったわけではない)、でも僕にとっては(ああ、失敗すると思われてんだなぁ)と若干傷ついたりもした。
これだけのことがあっても、なお最初の一歩を踏み出して続けられたっていうのは何なんやろ、と。
たぶん、それは僕の考え方の根底に「所詮、人間全員、肉の塊じゃん」っていうのがあるからなのかなぁ、と思ったりもします。
これはあくまで、抽象的な考え方の部分のお話しで、目の前にいる人を常に「肉の塊」と思って接しているわけではないですよ。
実際的なpragmaticな話ではなく、あくまでマインドの話。
つまり、簡単にいえば「人間死んだら皆一緒じゃん」ってことなんですよね。
で、たぶん、ほとんどの人はこれを聞いたときに「いや、まあ、それはそうなんだけど。わかってるんだけどさ。でもさ……」という風に思うと思う。
確かに、僕も2年前だったら絶対にそういう風に答えていたと思っていて、(死んだら一緒だけど、実際今生きてるし、学校とか会社とか人の目とかあるじゃん)って思ってたと思う。
じゃあ、何でそういう考えがなくなったんやろ?というのには、明確な体験があって、それが
【心気症になったこと】と【通勤中に意識を失ったこと】
これについては別の記事で既に話しているし、また別の機会に詳しく語ろうとはおもうけど、エッセンスだけ抜き取ると《強烈に死を意識した》ってことなんですよね。
リアルに死に際の姿とか想像したし(実際、死にかけたわけだし)、死ぬときに何を思うのかとか、死ぬときはどんな雰囲気なのかとか、とにかく生々しく感じたんですよ。
で、これが先の話に繋がるんですが、「人間死んだらただの肉の塊だ」という事実をまざまざと見せつけられた(自分で勝手に想像しただけですが)という形ですね。
だって、人間死んだら土に還るだけで、実際天国や地獄なんてないわけなので。
まあ、あったとしてもですよ、あったとしても生きている人からは姿かたちが見えないわけです。
じゃあ、無いのと一緒やん、僕と安倍総理の間に何か差がありますか?といったら死んでしまったらないわけですよ。
死んだら皆一緒で、等しく、存在が無くなるということです。
じゃあ、今たとえば「ユーチューブロガー?笑笑」と笑われたところで、「失敗したらどうすんの?」と聞かれたところで、死んだら、まあ、無かったことになりますよね。
じゃあ、やりたいことやって恥かきまくったって良いじゃん、どうせ死んだら無になるんだからというのが今のところの結論です。
まあ、とはいえこういったマインドで恥ずかしさとか、イタさみたいなものを捨てられてスタート切れたとしても、それを継続できない問題があります。
なぜかというと、死にたくないからです。
いずれ死ぬといっても、死ぬまでは生きてたいので、やっぱり飯は食いたいし、寝られるところは欲しいしって思うと、挑戦するにしても生活できる状態にならなきゃいけない、と。
平たく言ってしまえば、成功する必要がある、と。
どこを成功とするかっていう議論は置いといてですよ?とにかく、自分自身が描く成功というものに近づく保証というか、自信がないと、やっぱり挑戦はできないということですよね。
よく言いますよね。
「お前にはできたかもしれないけど、俺には無理だ」と。
成功できるのは一握りの人間だという、まあ、理論というか、確率論的な話です。
でも、これも「人間というのは所詮肉の塊だ」と思ってしまうと、嘘だなと思うんですよね。
つまり、人間一人一人の間にはそれほど差なんてなくて、結局皆同じ「人間」ってことなんですよ。
本質的には、ただの一匹の動物なわけですよ。
例えば、田中さんの家の犬と、山田さんの家の犬を見て、どっちが特別優れているとかあんま思わないやないですか。
公園の砂場を歩いていくアリの行列を見て、「あのアリは特別力持ちだ」とか思いませんよね。
人間だって同じです。
もし、神様的な視点から僕ら人間を見ている存在がいるなら、僕と安倍総理はただの人間Aと人間Bだなぁと思ったんですよね。
かなり極論であることは分かってます。
でも、本質的には同じ遺伝子を持っていて、同じ成分で出来た個体で、同じパーツで構成された体を持っているわけです。
むしろ、そこに「才能」みたいな「センス」みたいな、あるかどうかも分からないものでブレーキ踏んでしまう方がもったいないな、というか、
そもそも筋が通らないなぁと、思ったんですよね。
しかも、人間っていうのは凄いもので、生まれてから死ぬまで成長していくんですよ。
もちろん筋力とかは衰えますけど、知識とか経験的なものは基本的には増えていく。
だったら、今現在何もできないのは当たり前で(生まれたては何もできないですから)、これから成長していけば良いだけなんですよ。
具体的な話に落とし込むと、美味しいコーヒーが淹れられないなら練習すれば良いだけやし、WEBライターとして5万しか稼げないなら、効率と単価を上げれば良いんですよ。
これが最初の話に繋がってくるんですが、笑われていたって、失敗すると思われていたって、(そりゃ今の状態ではそう思われても仕方ないわな)といって流せます。
だって、人間は成長するものだから。
で、1年後には、まあ生きられるような状態にはなることができました、と。
今後は分からないですけどね。
「もう、個人で生きてくなんて無理……」といって、会社に勤めてるかもしれないですが。
でも、人間生まれてから死ぬまで生きていくだけなので、そしてその過程で成長していくので、極端に未来を恐れることはない、という感じです。
僕はそんな大した人間ではないですが、少しでも救われる人がいることを願って思考の流れを書いてみました。
僕とあなたが楽しく生きられる世界を目指して。
コーヒー屋・フリーランスWebマーケター|ミニマリスト|心の病気・通勤中に倒れる ▶︎ 教師辞める ▶︎ 全国を回る出張バリスタ・Webライター ▶︎ 実店舗オープン・Webマーケター|店番しながら仕事したり、コーヒー飲みながら仕事したり。